可愛い子には、旅をさせろ
娘がドイツに留学をした時の感想が
大学の広報に掲載されていて
いつの間にか、大人になっていたんだな
と思ったのと同時に、行かせて良かったと思えたのでした
留学をさせようか、考えている親御さん
簡単なことではないですが、本人が望むのであれば
ぜひ行かせてあげてください
子供の成長のためですから
長文ですが、良かったら留学での感想読んでみてください
- 留学生活を終えて 2015年8月~2016年7月
私の人生において初めての海外長期滞在にあたるのが今回の留学生活であったため、この経験は間違いなく今後の私の人生において色々な意味で影響を与えることと感じています。この留学生活を通して、様々な人と出会い、多くのことを学びました。
それらを大きく3つにまとめて最終報告書としたいと思います。
1つ目は語学力=コミュニケーション力ではないということです。
留学以前にも外国人と触れ合うことが好きだったので、コンタクトをとる機会は多かったものの、外国語しかない生活とは全く違ったので、留学が始まってから新たに感じることはやはり多かったです。これを感じたのは、特に日本人学生と他国生の比較を通してです。異国での暮らしの中で、日本人学生と共に受ける授業を持っていたので相互間でのギャップを感じざるを得ませんでした。私自身が受けてきた日本での教育課程で、語学を学ぶ上で大切なことはその語学をバランスよく使いこなせることだと教わったように思います。
バランスというのは書く・話す・読む・聞くにおいてです。しかし実際に異国で生活してみて私たちが日本で学んできたものはうまく活かせないことに気づきました。
まず、「話す」ことと「コミュニケーションをとること」を混同しがちですが、私は全く違うものだと考えるようになりました。例え流暢にその言語が話せたとしてもコミュニケーションがうまくとれるとは限らないからです。
もちろん話せることはとても大きなアドバンテージですが、コミュニケーション力が欠けていてはそれを最大限に活かせません。逆に、言語自体はできなかったとしてもコミュニケーションをとることは大いに可能です。人は言語だけでなく表情・ジェスチャー・予測などによって意思疎通ができるからです。
そして日本人学生はその点において他国生よりも劣っているように感じました。もちろん、これは一概に言えることではなく他国生にもうまく意思疎通ができない人はごまんといるでしょう。しかし少なくとも日本人学生の多くはその言語ができないと、その時点で意思疎通を諦めてしまったり、自信を失っているように感じました。
しかし、プログラムの目標にも掲げられているように、その言語ができなくとも何かしらの努力することで人は成長できるのだと思います。
それは言語においてだけでなく、全てにおいて言えることでしょう。
誰にも頼れない状況に置かれたとき、はじめてその人の人間としての真の力が問われるはずです。私は留学生活の中で、敢えてその状況を作り出すことを考えました。さもなければ、周りにたくさんいる日本人学生に埋もれてしまうと共に、日本語を学んでいるドイツ人学生としか触れ合えなくなってしまうからです。一概には言えませんが個人的な意見として、日本語を学んでいるドイツ人学生とだけ触れ合うことはドイツ人と交流したと言えるのか疑問です。なぜなら、彼らは私たちが何も話さなくても、何も行動しなくても既に私たち日本人に興味を持っているからです。
そのため、コミュニケーションをとることも難しいことではなく、むしろ楽です。しかし、私はそのぬるま湯に浸かっている感じがとても気持ち悪くて、すぐにその狭いコミュニティから抜け出すことを考えました。
たまたま私は長年サッカーを続けてきて、またボランティアをすることにも興味をもっていました。そのため、その特技や興味関心を活かして人脈を広げることができました。しかしそこでドイツ人と本当の意味での友達をつくることは簡単なことではないと思います。幸運にも私はサッカーチームで、今では親友と呼び合える友達ができました。
またその友達の友達やルームメイトとも仲良くなれたので、友達の輪も広がりました。彼女たちは私のことを「日本人」ではなく「友達」としてみてくれています。
このことは私にとってとても嬉しいことでした。こうして全く日本や日本語に関心のない友達が増えれば増えるほど、色々なことに気づくことができました。その一つが言語力とコミュニケーション力の違いでした。
2つ目は、私たちは常に限られた時間の中にいるということ。多くの人は時間に限りがあると毎日感じて生きてはいないでしょう。
しかし、その‘ずっと続くと思っていた’時間にリミットが近づいてきた頃、やっと気づくのです。その「時間」は二度と返ってこないことに。
私は多くの本や人から、そのことを学び、留学に行ったならば時間こそ無駄にするべきではないと心に誓っていました。そのため毎日の日記を綴る際になるべく自分自身を客観視し、いざ日本に帰る時が来たときの自分を想像し、「このままで後悔しないか」と自分に問いかけました。
そのおかげで、いい意味で焦りながら毎日を必死に過ごすことができました。これは決して私にとってストレスではなく、毎日が新しい発見・挑戦に溢れ、その中での成功や失敗を得るというようにとても良い心がけになっていました。
そして終わりの時間を意識することは同時に「感謝」につながることだということも学びました。目の前にあるもの全てが当たり前だと思った瞬間、感謝をすることは難しくなるでしょう。
留学できるということは、両親・家族・先生・大学関係者、などなど計り知れないほどの偶然と人の繋がりがあったからこそ実現するものであり、私はそれを思ったとき感謝せざるを得ませんでした。
そしてその感謝の気持ちがあれば、自然と今自分のできることに全力投球できるはずです。もちろん人それぞれ留学に向けた目的は違うでしょう、またはない人もいるかもしれません。しかしやはり限られた時間であればあるほど、目的や目標を持つことは必須であり、それによって自分の立ち位置を見直すことも可能です。
まずは自分に与えられた「時間」の意味を理解することは留学生の努めだと考えます。
3つ目は、人が自分を作るということ。この約1年の留学生活を通して、数え切れないほどの人の縁に恵まれ、それにより私の生活は豊かになりました。
如何なる時も、人生は自分自身でつくっているように見えて、本当は自分の周りにいる人が私自身をつくっているのだということを改めて学びました。そして身の回りの人の輪は自分の行動次第で無限大に広げることができます。
私は、せっかく日本ではない異国の地で人脈を広げることのできるチャンスがあるのだから、できる限りのことはしたいと思って行動してきました。その結果、難民へのボランティア仲間、サッカーのチームメイト、など自らの行動なしでは得ることのできなかった人脈を得ることができました。
そして常に身の回りの誰かから学ぶことができました。文化・習慣・価値観・宗教観など決して機械には語らせることのできない多くのことを。私の留学生活を豊かにしてくれた全ての人への感謝を忘れずに、この人脈をこの先もずっと大切にしていきたいです。